今回の記事は、博多とよ唐亭:豊永社長の講演内容をもとに、抜粋記事では書ききれなかった内容を詳細記事にしています。
抜粋記事については、下記を参考にされてください。
参考:ドン底から這い上がった逆転人生!20店舗まで成長した店舗経営術/博多とよ唐亭:豊永社長
FC店舗を含めて13店舗まで増えたテイクアウト専門の焼鳥店
ミートパイ屋さん、クレープ屋さんの失敗から、豊永社長はすぐに焼鳥屋さんを始めます。
ブーム商品で終わったミートパイから、ブーム商品ではなく、日本に昔からある焼鳥で勝負をしようと決めます。
昔からスーパーマーケットの前で売っている焼鳥屋さんはありましたが、店舗を構えて焼鳥をテイクアウト専門で販売するスタイルは斬新でした。
その斬新さもあって、オープンから徐々に店舗が増えていきます。
FC店舗を含めて13店舗のほか、関係ないところでこの業態の斬新さに気づいた人たちが真似をはじめます。
当時、福岡市内には至るところにテイクアウト専門の焼鳥屋ができていました。
一気に増えたという印象でしたが、ブームが去ると一気にお店もなくなっていきました。
参考:「100店舗やる」ためのビジネスモデルを考え抜いた/博多とよ唐亭:豊永社長
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「100店舗やる」という目標を決める
豊永社長は、テイクアウト専門の焼鳥を出店している途中で、「100店舗やる」という目標を決めます。
しかし、この業態で「100店舗やる」には時間がかかりすぎることに気づき始め、焼鳥店からの撤退を決めます。
当時、FC店舗も数店舗あったことから、各FCに頭をさげてまわり、店舗を閉じていきました。
「100店舗やる」ことに時間がかかりすぎると思われた原因は、下記にあったそうです。
- 従業員さんが育っては辞めを繰り返し、人材がそろわない
- 焼鳥を焼くのも技術が必要で、教育にかなりの時間がとられる
- 焼鳥の原価が高く、仕込みに時間がかかる
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テイクアウト焼鳥店の失敗で学んだこと
豊永社長は焼鳥店の失敗から、下記の3つを次につなげて行かれました。
「100店舗やる」にはビジネスモデルが未熟だった
豊永社長は、「100店舗やる」と決めてから、博多とよ唐亭のビジネスモデル構想を約1年間考え抜いたそうです。
焼鳥は品数が多く、それぞれに焼き時間も焼き方も違うため、教育に時間がかかる。
教育に時間がかからない、人件費がかからない仕組みを作るには?など様々な角度から考え抜かれました。
飲食業はニッチよりもマスを!
飲食業に限っては、ニッチはかなりの努力がないと、お客さんは来なくなります。
「来なくなる」のは、商品がダメだからではなく、お客さんにとって情報が多く選択肢が多すぎるため、商品が選ばれないのです。
ニッチ商品で、お客さんから常時選ばれるには、相当のプロモーション力が必要になります。
プロモーション力を高くするより、マスで王道を狙ったほうが、うまく行きやすいのだと思います。
より多くの人の役に立ち、喜ばれる店を作る
豊永社長は「小手先でなはく王道を」と言われます。
商売の王道とはなにか?
お客さまに喜ばれ、お客さまのためになることです。
目先の利益を追うのではなく、王道を貫くことにより、利益はおのずとついてくると言われます。
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